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もちだ たつみ

持田 巽

もちだ たつみ

1868(明治1.6.6)〜 1943.8.16(昭和18)

明治・大正・昭和期の水力電気事業家、実業家、財界人

埋葬場所: 10区 1種 3側

 福岡県出身。增崎正敏の三男にして生まれる。1884.1(M16)持田権六の養子となり、1897.4 家督を相続する。
 1896 東京帝国大学工科大学機械学科卒業。水力発電を利用した画期的な富士紡績小山工場に設計・建設した。水力発電システムは一企業を越えて日本の紡績産業を躍進させた画期的なものだった。富士瓦斯紡績株式会社の工務部長、技師長として活躍。
 財界世話人の和田豊治にその工学の才を見込まれ、大正から昭和初期の紡績業発展に多大な貢献。吹き荒れる労働争議に直面するかたわら、後進の教育を率先した。 富士瓦斯紡績(株)專務取締役、滿洲紡績、富士電力、日華紡織各(株)取締役を歴任。享年75歳。

<人事興信録など>


持田家之墓 南無阿弥陀佛

*墓所には3基。正面和型「持田家之墓」、裏面「昭和十五年十一月二十八日 持田巽 建之」、左面は持田家8代目の持田巽の撰で持田家の事柄が刻む。墓は福岡市の大圓寺にあったが多磨墓地に改葬したことなどが刻む。墓所右側に持田巽夫妻の和型墓石が建ち、正面「温厚院順譽壽巽居士 / 芳徳院重譽貞繁大姉」、左面に没年月日と俗名が刻む。墓所左側に「南無阿弥陀佛」、前面「大本山増上寺主眞阿書」とあり、左面「八代 持田巽 建之」、裏面に持田氏の歴史が刻む。右面「昭和十年十一月二十八日」と刻む。

*妻はシゲヲ(M12.3生:福岡県出身:旧姓は平井)。長男は勝郞。孫で勝郞の長男は惠三。孫の持田季未子(1947.10.21-2018.12.18:本名は公子)は美術史学者・比較文化学者。東京造形大学教授を経て、大妻女子大学教授、のちに名誉教授。2012(H24)『明治の精神 持田巽の生涯』を執筆している。


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