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みずき きょうた

水木京太

みずき きょうた

1894.6.16(明治27)〜 1948.7.1(昭和23)

大正・昭和期の劇作家、演劇評論家

埋葬場所: 6区 1種 11側 22番(七尾家)

 本名は七尾(ななお)嘉太郎。秋田県横手町出身。女優七尾伶子の父。1912(大正元)上京し慶応義塾予科に入学、慶應義塾大学在学中に小山内薫(5-1-1-37)に傾倒。 1919(大正8)慶応義塾大学文科卒業。1920(T9)「三田文学」の編集にたずさわり、慶應義塾大学講師として劇文学を担当。 '30(S5)丸善に入社し、雑誌「学鐙」を主宰。「東京朝日新聞」に劇評を書いた。戦後は月刊誌「劇場」の主幹を務めた。 この間、多くの戯曲を発表し、作品に「殉死」「仲秋名月」「フォード躍進」、著書に「新劇通」、戯曲集に「福沢諭吉」などがある。イプセン研究でも有名。

<作家・小説家人名事典>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*妻の豊子は劇団四季創設者の浅利慶太の父で俳優の浅利鶴雄の妹。娘は女優の七尾伶子。伶子は俳優の臼井正明に嫁いだ。

*昔の七尾家墓域には小島政二郎(S35)記の『水木京太記念碑』が建ち、また、久保田万太郎の句(S35.7)『孝女これをたてたる碑なり露涼し』というのも刻まれていたのだが、現在の七尾家之墓所はそれらが取り除かれ、墓所内はコンクリートが打ち込み、すっきりとした墓所になってしまっている。 周囲の墓石と比較して少々小さい墓石が佇むだけである。 裏面には「昭和三十五年七月一日七尾路伊建立」とある。

*当時の墓域の様子を記した書物を見つけたので抜き出してみる。『近代文学研究叢書』第64巻(1991)所載 「水木京太」 佐藤道子「遺跡」森閑とした広大な苑の中ほどに位置する。素朴な趣の墓石の正面は「七尾家之墓」と刻まれる。その右手に碑がある。 碑文は『七尾伶子 水木京太わすれかたみの一女なり、ことし昭和三十五年七月、父の十三回忌をむかへて孝女これをたてたる碑なり露涼し 久保田万太郎』と万太郎独得の蚊蜻蛉の様な優雅な字体で刻まれている。 裏面には親友小島政二郎による水木の略歴が鮮やかに彫られており、「元禄の名優水木辰之助にちなんで水木京太と号したくらいだから歌舞伎にも精通していた」との一節からは筆名の由来を知ることが出来る。 墓石の左手には楚楚とした雪柳が、墓所入口の左右には南天が植えられている。故人の人格を偲ばせるような清潔で心温まる風情の奥津城であった。


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