歴史が眠る多磨霊園


みよし じゅうろう

三好十郎

みよし じゅうろう

1902(明治35)〜 1958(昭和33)

大正・昭和期の詩人、劇作家

埋葬場所: 18区 1種 36側 22番

 早稲田在学中吉江喬松に師事して詩作に励み、その推薦で「早稲田文学」に詩を発表。草野新平の「銅鑼」に参加。 「文芸戦線」にも詩を発表。1928(S3)処女戯曲「首を切るのは誰だ」を発表、全日本無産者芸術連盟(ナップ)に参加、 「疵だらけのお秋」のほか小説・詩を書き、31処女戯曲集「炭塵」を出版。 プロレタリア劇作家として知られ、社会的リアリズムと呼ぶ創作方法により、政治主義・公式主義に不満を抱き組織から離れた。 34「斬られの仙太」を発表。35PCL(東宝の前身)に入りシナリオを執筆。以後敗戦まで「浮標」「をさの音」「獅子」の佳作。 戦後「崖」「廃墟」「その人を知らず」「炎の人」に才能を示した。

<コンサイス日本人名事典>

三好 操(みよし みさお)
1896(明治29)〜 1933(昭和8)
三好十郎の妻
 香川県出身。旧姓坪井。成徳女学校の物理学の教師であった1923(T12)左翼活動を通して知り合った三好十郎と結婚。 1931(S6)操の結核療養のため千葉市登戸に転居する。操の世話には中学校の後輩の母親を頼み、三好は「斬られの仙太」を執筆した。 医師に手術を勧められるが、三好は幸福な気持の中で死なせてやりたいと痛感、好物のザボンを買って与えたり、 眠れないといえばギター々弾いてやったりした。享年37歳。
 三好は妻の看病とその死を題材に戯曲「浮標」を発表、'40(S15)3月新築地劇場で上演され、三好の代表作となった。

<日本女性人名辞典>


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