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みやけ りょういち

三宅亮一

みやけ りょういち

1891.9.19(明治24)〜 1979.7.14(昭和54)

大正・昭和期の銀行家、財界人

埋葬場所: 20区 1種 19側

 東京都出身。1922(T11)川崎銀行から常磐(ときわ)銀行の支配人に就任。
 当時、茨城県下には40あまりの小規模銀行が乱立していたが、その整理統合と信用機構の確立に全力を注いだ。昭和初期の恐慌に際し、茨城県の金融破綻が軽微に済んだのは、金融秩序の整備が進展していたからと評されている。 '35(S10)常磐銀行と五十(ごじゅう)銀行の合併により常陽銀行を設立。2代目頭取・会長として同行の育成・発展に生涯をささげた。
 茨城県商工会議所連合会会長、茨城県商工経済会会長、茨城文化団体連合会長などを歴任。経済界のみならず各界にわたって活躍。晩年は、茨城県産業会館の建設に情熱を傾倒した。著書に『三宅亮一語集』がある。

<茨城県大百科事典>
<MATHU様より情報提供>


墓誌

*墓石は和型「三宅家之墓」。左側に三宅亮一の碑が建ち略歴が刻む。戒名は寿仙院殿玄法亮達大居士。


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