高知県土佐郡江ノ口村(高知市相生町)出身。宮地直親、千加(共に同墓)の長男。弟にスミレ研究者・アララギ派の歌人・松本高等学校教授の宮地數千木がいる。
1908(M41)東京帝国大学文科大学史学科卒業。卒業論文は「八幡宮の研究」。翌年より内務省に入省。'15(T4)明治神宮造営局参事となり明治神宮の創建にかかわる。'18 東京帝国大学文科大学講師。'19 内務省神社局考証官を歴任。'22「熊野三山を中心とした神社の史的研究」で文学博士。'24 東京帝国大学神道学主任教授となり、神道史の講座を担当。
神社局考証課長として実証史学の方法によって神社・神道の歴史を考察した近代神道史学の先駆者として評価されている。特に熊野三山の歴史的研究など厳密な考証による近代神道史学の確立に貢献した。著書に『神祇史』『諏訪神社の研究』などがある。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令により大学での神道講座は廃講となったため退職した。と同時に神社庁顧問となり神社の存置についてGHQと折衝し、神社本庁、国民信仰研究所の創設に尽力。'46 国民信仰研究所所長に就任し、神道史の専門家として各地で講義を行った。出張中の長野県安曇野で急逝した。享年63歳。近代実証神道史学の確立者と称され、'85『宮地直一論集』全8巻が出された。
*墓所には二基建つ。右側は和型「宮地直親 / 同 千加 墓」、裏面は直親と千加の歿年月日が刻む。左側は和型「宮地家之墓」、裏面「平成三年六月吉日建之」。墓所右側に墓誌が建つが、両親の宮地直親(嘉永5.3-S3.12.9:土佐国出身)、宮地千加(萬延1.9-S14.10.24:大阪出身、青木園右衞門の長女)、宮地直一の3男の宮地正邦(T9.4-H2.8.11)の三名のみしか刻まれていない。
*土佐国宮地氏の祖は宮道(みやぢ)氏にして大和武尊の御子宮道別王より出で、参河国寶飫郡宮道郷より土佐に遷れるが如しとの記あり。
※宮地直一の男子子息は長男の直邦(T4.2生)、二男の治邦(T4.2生)、三男の正邦(T9.4生)がいる。三男の正邦が祖父母の墓石を高知県から改葬されたのか、両親兄弟が同地に埋葬されているかは不明。よって、宮地直一がこの墓所に眠っているのかも不明であるが、眠っている可能性が高いため掲載をします。この件に関してご存じの方がいましたらご一報ください。