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みわ きよし

三輪 潔

みわ きよし

1900.4.14(明治33)〜 1973.10.1(昭和48)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 13区 1種 53側

 東京出身。大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1921.7.27(T10)陸軍士官学校卒業(33期)。同期に市田一貫(後に少将:22-1-81)らがいる。同.10.16 騎兵少尉に任官し近衛騎兵連隊付となる。'24.2 所沢陸軍飛行学校で操縦学生として学んだ。同.10 騎兵中尉に昇進。'25.5 兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官。
 '30.3(S5) 大尉に進み、'34.11.29 陸軍大学校(46期)を卒業した。首席や優等卒ではなかったが、同期の中で少将以上に昇進したのは三輪のみである。'35.12 参謀本部付勤務となり、'36.8 少佐に進級し参謀本部員に就く。'38.3 中佐に昇格し、同.12.1 ソ連大使館付武官補佐官に着任。'39.4.20 帰国後、参謀本部作戦課員(航空)に就任した。'40.8.1 航空兵団参謀に補され満州に赴任。
 1941.3.1 大佐に進み、同.9.5 陸軍航空本部総務部庶務課長に就任。'43.8.2 航空本部総務課長、'44.6.19 航空本部教育部長、同.8.8 教導航空軍参謀副長を経て、同.9.2 教導航空軍参謀長を歴任した。同.12.11 航空本部教育部長を務め、'45.3.1 陸軍少将に昇進。同.4.6 航空総軍参謀副長に着任し終戦を迎えた。終戦後、同.12 予備役に編入。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*和型「三輪家之墓」、裏面「昭和十八年九月 三輪潔 建之」。左側に墓誌が建ち、戒名は鳳翔院殿釋潔清大居士。「陸軍少将 従四位 勲四等」も刻む。妻はギン(S41.5.4歿)。長男の誠は行年16才で没している(S17.5.28歿)ため、長男歿後の翌年に墓所を建てたことがわかる。


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