東京出身。成蹊高等学校理科甲類を経て、1934(S9)東京帝国大学工学部冶金学科卒業。卒業後、三井鉱山株式会社に入社。珊瑠鉱業所に勤務し、金製錬工場の設計・建設と操業に従事。'36本社目黒研究所選鉱製錬課員となる。研究員、所長室参与、課長を経て、'47同所の企画室主査、翌年は三井鉱山の参事に昇任した。
'50保安部鉱山課長になるが、同年財閥解体に伴い三井鉱山の金属部門は神岡鉱業(株)として分離独立。'51東京研究所研究室長。'52神岡鉱業(株)は三井金属鉱業(株)に社名を変更。'54同社の中央研究所技師長。'56管事補、'57「鉛・亜鉛鉱の優先浮遊に関する基礎的研究」にて工学博士。'60管事に昇任し、中央研究所次長となる。'62中央研究所第5研究室長 兼 中間試験工場長兼務。'64中央研究所技術調査室長も兼務。'65定年退職となるが、嘱託で残る。'67神岡鉱山史編纂監修応嘱。'73.3三井金属鉱業を退職。
講師として招かれることも多く、'39財団法人興亜工学院冶金科講師を初めとし、'58母校の東京大学工学部資源開発工学科講師も務めた。退職後の'73.4〜'83.3駒澤大学教授として招かれ定年まで自然科学教室をもち指導研究にあたった。途中、'75川村短期大学講師も務めた。
技術士試験委員や多くの評議員を務めている。'62日本鉱業会論文審査委員長、'64日本鉱業会理事、'70浮選研究会副会長、'75日本鉱業会論文賞選考審査委員長、'82浮選研究会名誉会員。また、国内だけではなく、国際選鉱会議への日本代表委員としての出席や調査を行った。
主な賞に、'41渡辺渡博士奨学資金受領(日本鉱業会)、'54日本鉱業協会技術賞、三井金属鉱業(株)社長賞を受賞。主な著書に、'40『ドル金銀製錬法』、'42『ラボーン浮選操業法』、'51『最近海外における非鉄金属選鉱・製錬技術の進歩』、'59『岩波産業講座 非鉄金属鉱業編』、'65『資源鉱物ハンドブック 鉄物分離編』、'66『実験鉱物学 鉱物分離編』がある。享年83歳。