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みたむら ただくに

三田村忠国

みたむら ただくに

1846(弘化3.12.1)〜 1912.12.3(大正1)

明治期の海軍軍医総監(少将)

埋葬場所: 16区 1種 3側

 和歌山県出身。1884.2.7(M17)海軍大学軍医を卒業し、東京病院医療掛で医務局に出勤した。同.4.19龍驤主任軍医となり、1885.6.20軍医少監に昇進。
 同.7.22横病次長、治療課長、翌.4.12浦賀屯営軍医長、1886.9.6東京病院長心得を経て、1888.2.2常備小艦隊軍医部長として旗艦軍医長となり、次いで、同.4.27高千穂軍医長となった。 1889.4.25佐鎮海兵団軍医長に捕され、佐鎮衛生会議議員も兼ねる。1891.4.22横鎮衛生会議議員。1892.8.6横須賀病院長、1893.5.20軍医大監に昇格し、呉鎮軍医長として呉病院長を歴任した。
 1894.9.25常備艦隊軍医長、翌.7.15兼務で澎湖島防疫委員長となる。1896.9.11横鎮病院長、1897.10.28呉病院長 を再び務め、1898.9.14待命、1899.9.15休職したが、1901.9.15(M34)海軍軍医総監(少将)に累進し、同時に予備役となった。1906.12.1後備役、1911.12.1退役。享年66歳。

<帝国海軍提督総覧など>


*墓石前面に「三田村家墓」。右面が墓誌となっており、「父 三田村忠國 大正元年十二月三日歿 享年六十七」と刻む。妻はシテ。建之者は長男の病理学者の三田村篤志郎(同墓)。

*1919.9.22(T8)海軍軍医総監は海軍軍医中将に改称された。それ以前の海軍軍医総監は少将相当とされている。よって、三田村忠国は軍医少将となる。


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