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みなみ よしただ

三並義忠

みなみ よしただ

1908.1.8(明治41)〜 1966.9.1(昭和41)

昭和期の工学技術者、自動電気釜発明者

埋葬場所: 4区 1種 1側

 愛媛県出身。機械好きで小学校を出て上京。苦学して芝浦工学校(芝浦工大の前身)を卒業。ドイツ系の機械商社アンドリュウス社に入った。 1934(S9)独立、精密測定器を製作した。戦後はテープレコーダーや16ミリ映画のトーキー、圧力釜などを作り、'52東京芝浦電気と関係して自動電気釜の発明に没頭、三重釜を考案した。 東芝は'54暮れ、初めて市場に出し、自動電気釜は日本の台所を大きく変えた。'59第1回科学技術賞を受賞した。享年59歳。

<森光俊様より情報提供>


*墓所正面「三並家之墓」。戒名は顕功院殿義忠敏慧大居士。


【自動電気釜による台所革命】
 かつて主婦の「炊事」は激務であった。なかでも最も重労働だったのが「飯炊き」であった。 電気やガスといった、いまでは生活に欠かせないインフラが整備される以前、主婦は朝早く起き、まずカマドに薪をくべて火を起こす。 冷たい水でコメを研ぎ、飯釜をカマドにかける。「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋とるな」。 カマドでの飯炊きは、火加減や水加減を少しでも間違えれば、おいしく炊けずに焦げたり生煮えになってしまった。 場数を踏み、コツをつかんだベテランの主婦でさえ、飯炊きでは常にカマドの火に気を配っていなくてはならなかった。 この重労働が一年三六五日、毎日必ずのしかかってくる。おいしいご飯を食卓に乗せられなければ、即座に女房失格の烙印を押される――そういう時代だった。
 昭和30年、誰もが手軽においしいご飯が炊ける電化製品が開発された。「自動電気釜」である。 自動電気釜の登場は、世の主婦たちの家事負担を大きく軽減した。 具体的には、一日の睡眠時間を一時間増やし、また朝昼晩でそれぞれ一時間ずつ、計三時間もの家事負担を軽くしたといわれる。 これはまさに一つの家電製品による「台所革命」であった。
 技術的にも困難とされ、家電メーカー各社が開発に躊躇するなかで、自動電気釜の開発と製品化を成功させたのは、戦後に家電の普及に情熱を注いだ一人の営業マンの山田正吾と、一代で築き上げた自らの会社の危機を救うために、 昼夜を分かたず研究に没頭した小さな町工場の社長であった三並義忠である。そしてその陰には、夫を支える献身的な妻と六人の子どもたちの温かい協力があった。
 日本人の主食・コメ。どんなに高級な料理よりも、ふっくらと炊き上がったおいしいご飯に勝るものはないと考える人は多い。 日本人は世界中のどの国の人たちよりもコメにこだわり、コメを愛しているといっても過言ではない。 このコメを誰もが手軽においしく炊けるようになったのは、三並義忠の尽力があってこそである。

<「プロジェクトX 挑戦者たち」 電気釜/町工場一家の総力戦>


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