大阪府出身。1903(M36)大阪高商(現、大阪市大)を卒業し、日下部商店(のちの安宅商会)に入社。 '09南商店設立以降、大豆・米穀・肥料貿易で蓄財したが、商品や株の思惑投機で失敗を重ねた。 昭和期に入ると製鉄業、砂金鉱業、セメント業など製造部門に方向転換し、'36(S11)大阪造船所設立でその後の活動基盤を築いた。 戦後は第2次計画造船で同社を再建し、'55オリンピック・チャレンジャー号船団を30億円で買収して南氷洋漁業権を確保するなど、億万長者の一人に数えられた。 合理的節倹主義の経営方針で有名。ほかに日本造船工業常任理事を務めた。
<現代日本朝日人物事典><五輪塔様より情報提供>