歴史が眠る多磨霊園 |
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松島 剛 | |
まつしま こう | |
1854.10.2(安政1)〜 1930.1.6(昭和15) | |
明治・大正・昭和期の地理学者、政治家 | |
埋葬場所: 3区 1種 10側 9番 | |
紀州藩士松島欽右衛門の子として江戸で生れる。幼名を辰三郎といい、のち利道と改名。大坂の川口居留地においてアメリカ人ウイリアムから英語を学んだのち東京に出て1876(M9)慶応義塾に入学した。 慶応幼稚舎教員、茨城県水戸中学、埼玉県不動岡中学などで教えたのち、東京英和学校(青山学院の前身)で86(M19)〜97(M30)まで教えた。 84に翻訳・刊行したハーバート・スペンサーの『社会平等論』は当時の自由民権論者に多大の影響を与えた。著書は多く、特に地理学に関するものがあり、明治の地理教育に貢献した。 訳書も多くスイントンの『斯因頓万国史要』などがある。軍人後援会評議員、東京市会議員などを歴任した。 <日本洋学人名事典>
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