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まつなみ にいちろう

松波仁一郎

まつなみ にいちろう

1868.1.1(慶応4)〜 1945.11.3(昭和20)

海事法学者、法学博士

埋葬場所: 16区 1種 2側 15番

 旧岸和田藩士松波仁右衛門の長男として大阪に生れる。同志社をへて1893(M26)東京帝国大学法科大学英法科卒。法典調査会委員となり、日清戦争のとき海軍・陸軍両省の戦時国際法顧問に就任、ついで海軍大学校教官をつとめた。 1900東大法科大学教授となり、1901『軍艦商船衝突論』(英文)で法学博士の学位を受け、1928(S3)定年退官後は日本大学商学部長、同法文学部長などを歴任した。 その間、しばしば欧米に出張、1899(M32)ロンドン万国海法会議には副議長をつとめ、わが国海事法学の創始者として、のち帝国学士院会員に挙げられた。 国粋的な法学者としても有名で、いわゆる「七博士」の急先鋒として日露開戦を主張して以来、大学教授連盟会長としてシベリア出兵、満州事変などについて常に強硬策を説き、また学生に軍事教練を施すことを首唱するなど、きわめて行動的であった。 日章旗についても一家言をもち、「国旗博士」などとも呼ばれた。著書には英文の『公船責任論』『日章国旗論』、日本文の『公海法』『商法』『海商法』『海軍刑法』『会社法』などがある。

<平凡社『日本人名大事典 現代』>
<MATSU様より情報提供>


まつなみ にいちろう

*墓所内に碑がある。墓石はフルネームで刻む。


松波八重 まつなみ やえ
松波仁一郎の母
 天保14年11月に大阪士族松原藤八郎の長女として生まれる。 大阪士族(旧岸和田藩士)の松波仁右衛門に嫁す。慶応4年1月1日に仁一郎を産む。病弱であり大正11年8月19日に逝去。

<大正過去帳>


*松波家の墓所は数年前に新しく改築し直してきれいになっている。


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