メイン » » » 松本潤一郎
まつもと じゅんいちろう

松本潤一郎

まつもと じゅんいちろう

1893.7.22(明治26)〜 1947.6.12(昭和22)

大正・昭和期の社会学者

埋葬場所: 24区 1種 47側

 千葉県出身。松本徳太郎の長男。第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部社会学科卒業。大阪毎日新聞の記者となったが、まもなく退社。以後、日本大学・中央大学・東京女子大学の講師、欧米留学後、法政大学教授、'38(S13)東京高等師範学校教授を歴任。母校の東京帝国大学講師も務める。'40(S15)文学博士。
 社会学を社会集団・社会過程・社会形象の3対象を総合的にみる「縦社会学」を構築・確立することを意図し、その構想の概説『社会学原論』(1935)を著わした。他にも『現代社会学会研究』(1928)、『集団社会学原理』(1937)、『文化社会学原理』(1938)などを著わす。
 '45戦災に依り長野県飯島村山口家に疎開する。同所にて病没。享年53歳。没後の '53長男の松本達治(同墓)と黒川純一が中心となり『松本潤一郎追悼集』を刊行した。
 妻は山口英九郎の長女の久仁子(1900.10.10-1966.1.14 同墓)。1919(T9)結婚。長男は経済学者の松本達治。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<墓石の略歴など>


まつもと じゅんいちろう

*墓石は和型で正面は3人の戒名が刻む。右から松本潤一郎「明鑑院聖瑞潤学居士」、久仁子「寶灌院聖壽久仁大姉」、達治「叡哲院慈眼達悟清居士」。左面に松本潤一郎の略歴と久仁子のことが刻む。右面は松本達治の俗名、没年月日、享年が刻む。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。