メイン » » » 松田 衛
まつだ まもる

松田 衛

まつだ まもる

1882.5.5(明治15)〜 1957.11.10(昭和32)

明治・大正・昭和期のロシア語学者

埋葬場所: 8区 2種 5側

 大分県宇佐郡出身。 1903(M36)東京外国語学校露語科を卒業し、三菱商会に入るが上役と衝突して退社し、三井物産に入る。しかし数年後またも上役と喧嘩をして退社。 外語卒業後通算7年間、ウラジオストク、ハルビン、モスクワなどで商社員、通訳として生きたロシア語に接している。1918(T7)母校の教壇に立つようになり、1943(S18)退官するまで東京外語の名物教授として多くの後進を育成した功績は大きい。 著作は少ないが、独力で仕上げた独創的な『和露大辞典』(S8)は、ロシア語と日本語の卑語・俗語まで載せた大著で版を重ねた。ロシア語文法書『露語真髄』も名著として知られている。

<日本人名大事典(現代)>
<MATSU様より情報提供>
<松田みどり様より情報提供>


*倉状の墓石の前面「松田家之墓」。左右に墓誌が建ち、右側の墓誌に松田衛が刻む。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。