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ますだ かめきち

増田亀吉

ますだ かめきち

1885.3(明治18)〜 1981.5.2(昭和56)

大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 9区 1種 2側

 北海道出身。旧姓は宮本。1912(M45)増田久五郎(同墓)の養子となる。久五郎は石川出身の宮本惣次郞の二男であるため、親類からの養嗣子と思われる。久五郎は北海道開拓にあたり増田合名会社を創立し木材王と称される人物となる。亀吉は養父の増田合名会社の代表社員となる。
 戦後は増田商事を創立し、キャバレーや質屋、パチンコ店のチェーン経営、予備校「不二学院」経営など多方面に参画した。『わが歩みし九十五年』(1978)を刊行。享年95歳。

<人事興信録>


墓所

*墓石は二基。左に五輪塔「増田家累代之菩提」、右に和型正面「知應院釋常見 / 諦等院釋尼妙脱」、右面「昭和十八年五月十四日歿 俗名 増田久五郎 享年七十七」と刻む。久五郎の妻は よそ(慶應2.11-S28.9.9)。亀吉の戒名は快楽院釋安穏。墓誌には久五郎養嗣子とあり、九七才と刻む。妻は よね(S59.9.15歿:眞樂院釋尼妙安)。同墓に眠る増田巳之吉(同墓:S58.4.12歿)は昭和40年代の「東洋画廊」の先駆者(1986画廊名を「ギャラリー絵夢」に変更)。

*五女の清子は、1943 高宮行男(1917.1.26-2009.6.30)と結婚。高宮は増田商事に入る。1953 増田商事の予備校経営進出に伴い、義父の増田亀吉に見込まれて不二学院の会計担当となる。その後、義父と離反して増田商事が運営している予備校の経営権を掌握する。'59 学校法人高宮学園を設立。'61 代々木ゼミナールと改称。代々木ゼミナール理事長として予備校業界に革命を起こす。


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