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まきの ただよし

牧野忠良

まきの ただよし

1867.12.4(慶応3)〜 1933.10.2(昭和8)

明治・大正・昭和期の子爵

埋葬場所: 13区 1種 24側 1番

 宇和島藩主・伊達宗城の七男。幼名は五十若。
 幕末の越後三根山藩(1万1千石、明治3年峰岡藩と改称)の藩主・牧野忠泰の長女・千代子の養子。華族令制定当時は千代子が当主であったので、1891(M24)12月忠良に子爵が授けられた。
 <平成新修旧華族家系大成>、<日本の名門1000家>には峰岡(越後)藩・1万1000石の武家として1884(M17).7.8に牧野忠泰が子爵の爵位を授爵したとある。 忠泰以降の継承者は長女の千代子 → 養子の忠良 → 息子の健之助 → 博基

<平成新修旧華族家系大成>
<日本の名門1000家>


牧野忠泰公 牧野忠良公 牧野健之助閣下
牧野忠泰 牧野忠良 牧野健之助

<峰岡藩史資料>
<15代当主牧野忠由様より写真提供>


*墓所建立者は牧野健之助であり、墓石には裏面に建立者の健之助の名が刻む。 墓石の側面には『十二代清閑院殿覚譽一道忠良大居士 昭和八年十月二日薨 行年六十七才』と牧野忠良の戒名などが刻む。 忠良の分骨墓は国許の菩提寺にもあるとの情報もあり。

<徳川葵様から情報提供>


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