東京都武蔵野市出身。久和清吉・啓子(共に同墓)の一人娘。結婚八年目でようやく生まれたパッチリした目の娘に父が「ひとみ」と名付ける。5才からバイオリンを習い大事に育てられた。
東京都立国立高等学校卒業後、東京大学を受験するも失敗し一浪し再度チャレンジするも不合格。第二志望の早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。中学生の頃からアナウンサーに憧れがあったため、在学中、1980(S55)菅直人が初めて当時の社民連から地元の選挙区より衆議院議員選挙に出馬した際に、選挙応援ボランティアとして選挙カーでウグイス嬢をした。これをきかっけに益々アナウンサーへの憧れが強くなり、就職活動は東京の民放キー局を全て受験。しかし結果はどこも不合格。しかし、諦めず、CNNデイウォッチの契約キャスターのオーディションを受け合格した。
1984(S59)大学卒業後はテレビ朝日系列の「CNNデイウォッチ」のニュースキャスターとしてデビュー。当初半年契約の予定が、キャスターとしての才能が認められ契約は延長。さらに、チャレンジャー号爆発事故の緊急ニュースを担当したことで一躍有名となり、最終的に、1989.9年 まで5年半担当した。さらにテレビ朝日系の「Oh!相撲」の司会、「モーニングショー」などの番組でリポーターも担当。この間、'88 テレビ朝日ディレクターの小林雄高(ゆたか)と結婚。
'89.4(H1)からはTBSと専属契約をし、TBS首都圏ローカルニュース「テレポート6」のキャスターとして起用された後、'90.4 からは「ニュースの森」のキャスターに抜擢され、6年間務める。ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一、ソビエト連邦の崩壊、湾岸戦争など激動する世界のニュースを取材し、知的で歯切れの良い語り口で報道して、本格派の女性キャスターとして知られるようになった。
契約満了と番組リニューアルを機に降板した後、夫の小林雄高にアメリカ留学がしたいと相談をしたところ賛成してもらえたが、同時に二人の結婚生活も改めようと言われる。家庭に収まってほしい夫と、キャスターとしてこれからも仕事を続けたい久和は、お互いを尊重する道を選択し離婚することになる。コロンビア大学のプロフェッショナルフェローとして留学。
'98 帰国後、「はなまるマーケット」、「知ってるつもり」などにゲスト出演をし、「ニュースジョッキー」「ジャーナル8」のキャスターを務めた。
'99.10 からはテレビ東京「ニュースアイ」のメインキャスターに起用される。このニュースアイの「アイ」は久和ひとみの名前の「ひとみ」にちなんだもの。しかし、番組が始まって一年後、2000.10.20「実は体調を崩しまして、来週からしばらく休ませていただくことになりました。また元気になりしだい戻ってまいります」と挨拶しテレビ出演を控え療養する。体調不良による検査を受けた結果、子宮がんを患っていることが判明し、最後の出演の4日後に手術を受け、復帰に向けて治療に専念をした。しかし翌年、2001.2 がんが肝臓への転移が見られ容体が急変し、同.3.1 逝去。享年40歳。訃報は各局で一斉に伝えられ、自身が担当した「ニュースアイ」や「ニュースの森」ではトップ項目として伝えられる。闘病中に執筆した『久和ひとみが伝えたかったこと』『久和ひとみ絶筆:子宮がん闘病116日の日記』が刊行された。
葬儀の棺には幼い時に使っていたバイオリンと、復帰後に着る予定だったシルバーグレーのスーツが納められた。三回忌を迎えた年に、女性ジャーナリストの留学助成をする「久和ひとみスカラシップ」が設立された。