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くすめ とうこうし

楠目橙黄子

くすめ とうこうし

1889.5.4(明治22)〜 1940.5.8(昭和15)

明治・大正・昭和期の俳人、実業家(間組)

埋葬場所: 15区 1種 6側 1番

 高知県高知市南与力町(与力町)出身。本名は省介(しょうすけ)。号が橙黄子。
 土木建設会社の間組に勤める。実業の傍ら、1909(M42)頃より句作を始める。'15(T4)朝鮮在任中より「ホトトギス」に投句を始めた。高浜虚子に師事。'27(S2)「ホトトギス」同人。朝鮮、満州などの外地や九州、大阪などを転勤する中で、それぞれの地方色のある作品を示した。ホトトギス誌上では常に巻頭をうかがう実力作家として活躍した。
 1936(S11)間組の朝鮮支店長を務める。朝鮮俳壇で活躍し、「京城日報」俳壇の選者も務めた。間組の同僚であった遠藤韮城は楠目の影響で俳句をはじめる。高浜虚子が朝鮮旅行や熊野旅行に楠目と遠藤は帯同し案内役を務めた。
 東大俳句会とも交流があり「ホトトギス」に雑詠句評会を提唱した。句風は端正高雅。句集に『橙圃』(とうほ)。代表句「焚火人面罵に耐えてゐたりけり」。享年51歳。
 高知市潮江天満宮に「ふるさとに旅龍住ひや蜆汁」の句碑が郷土俳誌「龍巻」100号記念事業として建ち、'41.2(S16)本人没後の除幕式には高浜年尾ほか多数の俳人が参加し作風を偲んだ。

<高知県人名事典>
<20世紀日本人名事典>
<現代俳句大事典>


墓所 句碑

*墓石前面「楠目家之墓」、裏面「昭和十六年五月 楠目亮 建之」。墓所左に墓誌があり、楠目橙黄子は本名の「楠目省介」と刻み、橙黄子の刻みはない。墓所入口に楠目橙黄子の句碑が建つ。裏面「昭和十八年六月」と刻むため、一周忌に建ったことがわかる。


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