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くまがい まさみつ

熊谷誠光

くまがい まさみつ

1922(大正11)〜 1955.3.15(昭和30)

昭和期の農林技官

埋葬場所: 24区 1種 14側

 鹿児島県出身。父は初代東京日本橋保健所長を務めた熊谷親長(1894〜1970.8.26 同墓)、母は治(1885〜1990.11.25 同墓)。
 官立鹿児島高等農林学校卒業後、林野廰舎(現在の農林水産省の外局の林野庁)に入り、農林技官となる。戦時中は召集され、スマトラに出征、終戦と共に帰還。 戦後は、林野廰舎に復職し、霧島事業所主任を経て、業務課災害防止林係長となるも、在任中に病没した。享年33歳。

<墓誌にて>


墓所

*墓石は和型「熊谷家之墓」。左側に墓誌が建ち、それぞれの簡略歴も刻む。1943.1.30(S18)ドイツ協会中学在学中に18歳で病没した熊谷宣夫。 海軍兵学校卒業後、南方に転戦し、1944.10.25(S19)フィリピンのレイテ沖海戦に於て22歳で戦死した海軍中尉の熊谷尚夫。 1945.9.13(S20)疎開先の鹿児島市にて6歳で病没した由子。父の熊谷親長は初代東京日本橋保健所長で従4位・勲4等。 2010.5.7(平成22)85歳で亡くなった熊谷長慶は、東京都杉並区保健衛生部長 兼 西保健所長、勲4等瑞寶章と刻む。


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