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くまがい もりかず

熊谷守一

くまがい もりかず

1880.4.2(明治13)〜 1977.8.1(昭和52)

明治・大正・昭和期の洋画家

埋葬場所: 26区 1種 2側

 岐阜県出身。東京美術学校(東京芸大)卒。第3回文展の「ローソク」で注目をあび、1915(T4)から二科展出品。敗戦後二紀会創立会員、のち無所属。 単純化・象徴化した画風を深めた。著書に「へたも絵のうち」(1971)がある。「画壇の仙人」と称される程の孤高の画家である一方、自らチェロやヴァイオリンを演奏する音楽愛好家でもあった。 '67「これ以上人が来るようになっては困る」という理由で、文化勲章を辞退した。次いで、'72勲三等の叙勲も辞退している。 絶筆は'76『アゲ羽蝶』油絵。肺炎のため去逝。享年97歳。没後、次女で画家の熊谷榧が豊島区の父親の旧居に熊谷守一美術館を設立した。'76岐阜県中津川市の生まれ故郷に記念館も設立されている。 1922(T11)42歳の時に、秀子夫人(1984.6.1歿)と結婚。5人の子供を儲けたが、うち次男の陽(1925〜28 肺炎)と三女の茜(1930〜32 病死)は幼くして亡くなり、長女の萬(1924〜47)は21才で肺結核で倒れた。

<コンサイス日本人名事典>


オブジェ

*墓所内墓石は自然石であり、その上に腰掛ける人間の形をしたオブジェがある。墓誌は寝石であり、熊谷守一の名を見ることができる。


熊谷 黄 くまがい こう
1923(大正12)〜2005.1.9(平成17)
 東京都出身。熊谷守一・秀子の長男。父と親交があった作曲家の信時潔の長女のはると結婚。2004(H16)『熊谷守一の猫』の画文集を刊行。同年、守一の絵画、日記、スケッチ帳などを岐阜県に寄贈した。 「寄贈作品資料展−守一ののこしたもの」が岐阜県美術館で催され、素顔の守一像が紹介された。老衰のため東京都国分寺市の自宅で死去、享年81歳。

<岐阜新聞訃報記事>


熊谷 榧 くまがい かや
1929.4.3(昭和4)〜 ご存命
昭和・平成期の画家
 東京都出身。熊谷守一・秀子の次女。守一が49歳の時の子。1951(S26)日本女子大学卒業。'53日本美術会会員。 '54大阪梅田で「はり絵」の個展を開く。徐々に油絵も描きはじめ、山・雪・人、動物のテーマで、毎年各地で個展を開き、現在は150回を超える。 '61日本山岳画協会員。'77彫刻や陶絵も手がけるようになる。'85父の旧居に熊谷守一美術館を創設し、館長。
 主な画文集・著書に『女ひとり氷河を滑る』、『ヒマラヤの山と人』、『スキーをはけば怖くない』、『モリはモリ、カヤはカヤ』、『グリーンランドは旅人を離さない』、『北海道の山を滑る』、『アルプスの氷河を滑る』など多数。


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