山形県西村山郡溝延村(河北町)出身。工藤淺吉の二男。
1893(M26)明治法律学校卒業。1897 判事検事登用試験に合格。判事に任せられしも退官して、盛岡市で弁護士を開業した。
盛岡市会議員を経て、1912.5.15(M45)第11回衆議院議員総選挙に岩手県郡部選出から出馬し初当選。立憲政友会に属す。'15.3.25(T4)第12回衆議院議員総選挙に岩手県郡部選出から立憲政友会公認で立候補して連続当選。'17.4.20 第13回衆議院議員総選挙にも状況同じく立候補して当選し、代議士を3期務めた。
なお、'20.5.10 選挙区制度が大選挙区制から小選挙区制に移行して初めての選挙となった第14回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。なおこの選挙は岩手県1区から7区に分けて選挙が行われたが全て立憲政友会候補者が全員当選したため、出馬していたら当選していたと推測する。享年63歳。
*墓石は五輪塔。左手前に「工藤家墓域」と刻む標石、裏面「昭和八年九月吉日 願主 工藤吉次 建之」。工藤吉次の妻のトヨが亡くなった一周忌に建てた墓であるとわかる。右に工藤吉次と妻のトヨの簡略歴が刻む碑が建つ。碑の最後に「願主 工藤征一、撰 矢嶋俯仰」と刻む。
*墓所後ろに3つの梵字が刻む石柱が建ち、その裏面に左から「悲母王念院釋妙豊大姉 菩提」と工藤トヨの戒名、真ん中「一念彌陀佛 即滅無量罪 現受無比楽 後生清浄土」、右「慈父明鏡院釋吉謙居士 菩提」と工藤吉次の戒名が刻む。石柱との間の壁石が墓誌となっている。工藤吉次から刻みが始まり、戒名、没年月日、行年が刻む。妻はトヨ(M14.10-S7.9.5:岡野儀右衛門の二女。別名は豊子)。1900(M33)工藤吉次とトヨは結婚。1男2女を儲ける。長男は工藤征一(M37.11-H6.7.20)。征一の妻は和嘉子(H16.2.17歿・行年93)。