静岡県小笠郡中村出身。本名は久保田次郎吉、初号は桂川。 幼くして父を失い苦学する。1902(M35)上京、帝国通信社に入社。のち大阪支社に移り、'23(T12)本社編集局長に就任。 一方、俳句を正岡子規に師事し、のち高浜虚子に入門。大阪在勤時代に最も旺盛な句作活動を見せ、「ホトトギス」のほか、山本梅史の「春夏秋冬」同人、東京本社に戻ってからは長谷川零余子の「枯野」同人として活躍した。カルタの名人でもあった。享年44歳。没後、'71(S46)句集『水仙の芽』が刊行された。
<詩歌人名辞典><美術人名辞典>
*墓石は和型「久保田家之墓」。右面に「大正拾五壷月八日歿 久保田次郎吉」と刻む。墓石右側に墓誌があり、本名である久保田次郎吉と久保田九品太が並んで刻む。妻はヱツ。墓誌には「昭和四十四年六月古賀家の墓を合祀す」と刻み、以降は古賀の姓の人物たちが刻む。また九品太の俳句も刻む。墓所右側に洋型「植木家」も建つ。左面に「平成十二年七月 植木公子 建之」と刻み、裏面は墓誌となっている。