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くぼた こまきち

窪田駒吉

くぼた こまきち

1883.10.15(明治16)〜 1935.6.9(昭和10)

明治・大正・昭和期の実業家
(鈴木商店・日清製粉)

埋葬場所: 13区 1種 27側 6番

 高知県高知市長岡郡介良村出身。神戸で営む阪神樟脳合資会社に入店。樟脳(しょうのう:クスノキの木片を水蒸気蒸留して製する特異な芳香のある無色透明の板状結晶)の売買を行う。仕事上で毎日顔を合わす金子直吉(鈴木商店の「大番頭」として大正時代には三井財閥、住友財閥、三菱財閥をしのぐ規模の企業グループに拡大させ財界のナポレオンともいわれた人物)に才覚が認められ、鈴木商店にスカウトされ転職。
 1904(M37)鈴木商店の東京進出に於いて、窪田はその先兵を務め、東京支店長となった。この時、40歳で最年少支店長で商略に秀で東京における鈴木の近来の発展は氏に負うと経済誌評で評された。また鈴木商店四天王(窪田駒吉、平高寅太郎、高橋半助、谷治之助)と呼ばれ活躍。
 日本製粉の岩崎清七とは、米穀の売買で知り合り、窪田は鈴木商店の大里製粉所との合併後に日本製粉の取締役に就任した。日本製粉と鈴木商店の救済融資の際には、長崎英造とともに金子直吉の命を受けて奔走する。その後、日本製粉の減資と増資により鈴木商店の持ち株比率が75%となると、'27(S2)1月、日本製粉社長に就任した。日本製粉の再建に努めるが、3月に昭和金融恐慌が起こり鈴木商店は破綻してしまう。窪田は三井物産に支援を求め、翌年日本製粉の社長を辞任。'33まで日清製粉相談役を務めた。
 他に、再製樟脳株式会社監査役、東工業株式会社常務取締役、国光レイヨン株式会社取締役、旭(資)代表社員など会社役員なども務めた。享年52歳。

<高知県人名事典>
<鈴木商店記念館 人物特集 窪田駒吉>


墓所

*墓石は和型「窪田家之墓」。裏面は「昭和九年三月 窪田駒吉 建之」。右側に墓誌がある。戒名は寶雲院吉峯明眞居士。行年は53才と刻む。妻はシマ。二人の子の窪田泰彦が昭和九年一月廿日に21才の若さで没しており、多磨霊園に建之したとわかる。


【鈴木商店】
 鈴木商店(すずきしょうてん)は、1874年(M7)兵庫の弁天浜に川越藩の鈴木岩治郎が、当時番頭をしていた辰巳屋ののれんわけで開業したのが始まり。1894鈴木岩治郎が死去後、金子直吉と柳田富士松の両番頭に委任し事業を継続。樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立するとともに、製糖・製粉・製鋼・タバコ・ビールなどの事業を展開。さらに保険・海運・造船などの分野にも進出し、ロンドン・バルティック取引所で日本企業として2番目のメンバーとなる日本を代表する財閥、商社となった。
 1927(S2)昭和金融恐慌のあおりを受け、鈴木商店の関連会社のほとんどは三井財閥の系列に統合された。1933負債を完済し、株式会社鈴木商店は1945年10月20日に解散。鈴木商店の子会社の1つ、日本商業会社は岩井産業と合併し日商岩井へ、更にニチメンと合併し現在の双日となっている。双日は社史サイトで鈴木商店に関連する動きを紹介している。


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