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こや りょうきち

小屋良吉

こや りょうきち

1886.9(明治19)〜 1961.12.18(昭和36)

明治・大正・昭和期の実業家(アンリツ)

埋葬場所: 24区 1種 72側

 大分県出身。小屋精吾の二男。兄は小屋惣吾。1919(T8)分家。
 良吉が生まれる前年(1895)アンリツの祖となる合資会社「石杉社(せきさんしゃ)」が設立される(創設者は石黒慶三郎)。1900 安中電機製作所を設立される(創設者は青山禄郎)。1908 石杉社とコード類を納めていた阿部電線製作所が合併し、共立電機電線株式会社を設立される。共立電機電線は自働電話(公衆電話)製造を行った。安中電機製作所は、'12 TYK式無線電話機を完成させ、'16 世界初の無線電話の実用化させた。その後もラジオ受信機やスピーカー、ヘッドホーンを製造していた。
 小屋良吉が電気設備工事などを行う弘電社の取締役にして支配人を務めていた時に、昭和恐慌や世界恐慌の煽りを受け多くの企業が破綻寸前にまで追い込まれていた時代、1930(S5)安中電機製作所ならびに共立電機の整理を託され委嘱される。同.12 良吉は安中電機製作所および共立電機代表取締役専務に就任した。'31.3.17 共立電機・安中電機とを合併させて安立電気株式会社を設立し、代表取締役専務に就任した。この時、社長は空席とし、松本新太が代表取締役会長に就任している。
 「アンリツ」の社名については、合併時に両社の社名から安中電気の「アン」と共立電気の「リツ」の一文字ずつを選び、語呂の良い「安立(あんりつ)」とされた。
 '33 国内初のテレビジョン放送機を製作。'38.12.22 安立電気株式会社の初代代表取締役社長に就任。'39 国産初の自動式公衆電話機1号機を完成。現在のテープレコーダーの母体となった交流バイアス式磁気録音機を開発した。'44.4.25 生産責任者に就任。
 戦後、'49.7.11 社長を辞任し、相談役に就任した。その際、ラジオ受信機、計器、蓄音器部門を分離、各独立会社となる。享年75歳。
 なお、1985.10.1(S60) 創業90周年を機に安立電気株式会社は社名を「アンリツ株式会社」に変更。電子計測器メーカー・通信計測カンパニーとして事業を発展させている。

<人事興信録>
<アンリツ(株)『アンリツ100年の歩み』、『120年の足跡』>


*墓石は和型「小屋家之墓」、裏面「昭和二十八年十月 小屋良吉 建之」。右側に墓誌が建つ。墓誌は妻のタイ(小屋タイ刀自:M15.1-S28.4.27:新潟県出身・旧姓は坂井)から刻みが始まる。なお隣りの墓所は和型「小屋本家之墓」が建ち、裏面「「昭和三十三年春彼岸 第三十五代 小屋重信 建之」と刻む。


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