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こんどう あらき

近藤荒樹

こんどう あらき

1888.3.6(明治22)〜 1986.6.11(昭和61)

大正・昭和期の金融業者、相場師

埋葬場所: 5区 1種 19側

 広島県出身。1913(T2)東京高商(一橋大学)卒業。卒業後、三菱合資に入り、鉱山部に勤務。 '22退社、退職金などを資本に近藤荒樹営業所を開設し、独立。金融、不動産仲介業を営み、株式市場の相場師として知られた。
 終戦後、'46(S21)金融業の近藤商事を創立した。インテリの金融王といわれ、金融業、株売買で儲けた資金で高利貸し巨万の富を築いた。 '57(S32)年度の長者番付7位になり、「金融王」「丸ビル将軍」などの異名で呼ばれる。株式売買では〔売りの近藤〕といわれ仕手戦で名を馳せた。
 68歳のとき元宮内庁掌典長の甘露寺受長の娘の績子(50歳)と再婚して話題を呼んだ。東京高商の庭球クラブの創部者である。 一橋庭球倶楽部が戦災で活動が停滞していた中、'56一橋庭球倶楽部初代会長となり、テニス部のクラブハウスをポケットマネーで建立し、テニスコート(クレイコート)4面も寄付している。 後に日本庭球協会顧問・日本テニスクラブの理事長を務めた。享年97歳。
 前妻の伊久子との間に生まれた、長男の近藤荒一郎(同墓)は実業界で活躍し、妻は池田勇人首相の長女の直子である。長女の初子は日本交通公社の滝浦潤に嫁いだ。

<物故者事典など>
<森光俊様より情報提供>


*墓所正面は「近藤家之墓」。戒名は寿光院釈宝樹居士。

*近藤荒樹は国立市の土地を関東大震災の直後に五十万坪買占め、'29(S4)頃に買値の十倍で売り抜いた逸話がある。


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