メイン » » » 小島七郎
こじま しちろう

小島七郎

こじま しちろう

1883.2.5(明治16)〜 1930.3.5(昭和5)

大正・昭和期の政治家

埋葬場所: 5区 1種 1側 2番

 山口県吉敷郡山口町生まれ。1911(T1)東京帝国大学法科大学政治科卒業後、東京通信社理事、西伯利亜新聞社長となる。 また牛込区会議員、同議長、東京市会議員、同議長等をつとめ、三木武吉らと並んで、東京市会の大立者として知られる。 ついで帝都復興院評議会評議員、特別都市計画委員会委員などに挙げられた。立憲民政党に属し衆議院議員(T15栃木県第4区選出)に一回当選。

<平凡社『日本人名大事典』>
<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<MATSU様より情報提供>


*墓石は和型に十字架が刻み「小島家之墓」。右側に墓誌があり、十字架の下に「Ego sum Resurrectio et Vita」とあり、埋葬者の洗礼名、俗名、生没年月日が刻む。小島七郎の洗礼名はヨゼフ。妻はキク。

*没年月日が1930年3月4日とされる人名事典がほとんどであったが、墓石には3月5日と刻むため、そちらを優先した。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。