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こいけ むぼう

小生夢坊

こいけ むぼう

1895.2.13(明治28)〜 1986.12.6(昭和61)

大正・昭和期の漫画家、随筆家、社会評論家

埋葬場所: 19区 1種 20側

 石川県の視学・医者・漢学者の子として金沢市に生れる。本名は小生第四郎。
 広谷水石(日本画家)の門に学ぶ。雑誌『ベースボール』に野球漫画を連載。デビュー作『野球絵物語』(博文館1913?年)以来、「夢坊」の雅号(永平寺の僧の命名)を使用。 1914(T3)頃、母と上京。『第三帝国』や『へちまの花』『新社会』に寄稿(その「聖画」は堺利彦に推奨される)。『二六新報』の文芸欄を担当。大正期に、「特別要視察人」乙号に指定される。
 '23関東大震災直後から浅草を主舞台に曾我廼家五九郎などの劇団に関与し、布施辰治の助けを借りて俳優争議も実行。'30(S5)『尖端をゆくもの』(塩川書房)を出版し、「プロレタリア芸術家の使命」を高唱。 八光流誌『護身道』に寄稿。戦後、樋口一葉記念館の建設、曾我廼家五九郎顕彰碑の建立、下町博物館の建設などの文化活動を展開。夢坊を「ゆめぼう」と読む文献もある。

<近代日本社会運動史人物大事典>
<MATSU様より情報提供>


*墓石は和型「小生家之墓」。右側に墓誌があり、戒名は浄生院釋専念。俗名は「小生夢坊(本名第四郎)」と刻む。妻は小生キミ(中村キミ)である。


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