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こぐれ じょいち

木檜恕一

こぐれ じょいち

1881(明治14)〜 1943.10(昭和18)

大正・昭和期の工芸デザイナー、教育者

埋葬場所: 11区 1種 4側

 群馬県出身。1908(M41)東京高等工業学校附属教員養成所建築科卒業し、同校の助教授となる。
 '17(T6)東京府立工芸学校家具製作科(木材工芸科)科長、翌年、同校卒業生を中心とする家具室内装飾の研究団体「樫葉会」(木材工芸学会)を設立し会長となる。 '20生活改善同盟会の創立に伴い委員。'21〜'23文部省在外研究生として欧米に留学。'23東京高等工藝学校(千葉大学)の創立に伴い木材工藝科教授、翌年より科長となる。'26産業工芸団体「帝国工芸会」創立に理事として参加した。
 '28(S3)仏蘭西のアカデミー・ボザールより栄誉章受章。'33臨時産業合理局事務用卓子及椅子単純化委員会委員。'42社団法人日本家具統制協会会長。木材工芸学会会長。 著作に『家具の科学』がある。'43横浜高等工業学校教授となるも、同年逝去。享年62歳。
 インテリア・デザインを通じて生活空間の改善を主張した。特に椅子(いす)式生活をとなえ、家具のデザインをおこなう。自宅を改良して生活改善のモデルを示し、機能主義に徹した日本間の洋風化や実験的なユニット家具を紹介した。 このような住宅建築改良の提案は、建築業界にも影響を与え、家具デザイナー及び教育者として、戦前日本のデザイン界に大きく貢献した。

<講談社日本人名大辞典>
<日本のデザイン史など>


墓誌 墓所

*墓所には二基。和型「木檜家之墓」と、和型「茂呂家之墓」が建つ。「木檜家之墓」の左面が墓誌となっており、戒名は堅●充寛逢明恕居士。裏面が木檜学の建之と刻む。墓石の右手側に「木檜恕一先生頌徳碑」が建ち略歴等が刻む。


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