メイン » » » 喜頭兵一
きとう へいいち

喜頭兵一

きとう へいいち

1884.5(明治17)〜 1955.7.24(昭和30)

明治・大正・昭和期の裁判官

埋葬場所: 12区 2種 40側

 兵庫県出身。岩本モトの子として生まれる。旧姓は岩本。喜頭時定(同墓)の養子となるも、1892.11.2(M25)に時定が没したため、8歳で鬼頭家の家督を継ぐ。養母は つる(同墓)。
 1909(M42)東京帝国大学法科大学卒業。統監府判事を経て、朝鮮総督府判事となった。その後、京城地方法院判事、釜山地方法院判事、京城地方法院部長、大邱地方法院部長、京城覆審法院部長、大邱覆審法院部長、高等法院判事を歴任した。
 '27(S2)欧米諸国に留学し、帰国後に京城帝国大学法文学部講師を兼ねた。高等法院部長、京城覆審法院長を経て、'43高等法院長に就任した。従3位 勲2等。

<人事興信録など>


墓所

*墓石正面「喜頭家之墓」、裏面「昭和二十九年四月建之」と刻む。左側に墓誌があり、養父の喜頭時定から刻む。兵一の戒名は一乗院法圓日善居士。「従三位 勲二等」の刻みもある。妻は せい。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。