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きたむら たかし

北村 隆

きたむら たかし

1902.4.19(明治35)〜 1982.8.4(昭和57)

昭和期の内務官僚

埋葬場所: 18区 2種 14側

 岡山県和気郡三石村字三石出身。北村貫皐・古美津の長男として生まれる。1928(S3)東京帝国大学英法科卒業。 前年に高等文官試験に合格しており、卒業後は広島県属で見習いからスタートする。
 '32青森県、'34からは群馬県の警察部特高課長を務める。 '35内務省警保局警視庁労働課長に補され、'37同省警保局事務官、警務官となり、'39厚生省労働局労政課長に移った。 '41静岡県経済部長に累進し、'41内務省警保局書記官・警備課長、'42同省警保局書記官となった。 この職は統制経済に入り、経済事犯が増加したために設けられた経済保安課で、その課長を務める。 '44兵庫県警察部長となり、敗戦を迎える。戦前は内務省警保局のキャリア官僚として出世街道を登り、敗戦がなければ、官選県知事とステップアップする流れであった。
 '46敗戦に伴い公職を追放され依願退官。'52解除後、保安研修所(防衛研究所)所長(〜'57)。 '60内閣国防会議事務局長(〜'67)となり、'63〜'66にかけて3回、欧米や東南アジアに出張した。'67国民金融公庫監事(〜'73)。'72.4.29勲二等瑞宝章。享年80歳。

<物故者事典>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*倉状の墓に前面「北村家」、右面に墓誌がはめ込まれており、「北村家先祖代々の霊此々に眠る 岡山縣西大寺市宇乙子より昭和四十二年十一月分骨」と刻み、眠っている人物の戒名、没年月日、俗名、行年と刻む。北村隆の戒名は壽頭院法徹隆潤居士。


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