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きたむら こうぞう

北村耕造

きたむら こうぞう

1877.9.25(明治10)〜 1939.6.27(昭和14)

明治・大正・昭和期の建築家、宮中顧問官

埋葬場所: 13区 1種 6側

 京都出身。北村糺(同墓)の長男。1903(M36)東京帝国大学工科大学建築学科を卒業。 同期に建築構造学の権威の佐野利器、日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂を設計した佐藤功一、晩香盧や青淵文庫を設計した田辺淳吉、国会議事堂を設計した大熊喜邦らがいた。これら同期の仲間たちで「丼会」を結成し親交を続けた。
 大学卒業後、東京清水満之助本店に入り、'05第一銀行横浜支店 の設計、'11日本女子大学講堂兼図書室及教育部校舎の設計に携わる。 '12視察のため欧米に出張、帰朝後、大阪支店長となったが、'17(T6)同店を退職し、財団法人理化学研究所建設技師に転じ、理化学研究所物理部並化学部本館及其附属家の設計を担当。
 '21(T10)官内技師に任ぜられ内匠寮に入る。'22内匠寮工務課長を命ぜられる。在職中、'23震災復旧諸工事、'27(S2)大正天皇御大喪並に翌年の今上天皇御大礼諸工事(昭和大礼諸設備)を任された。 その他、奥宮殿改築、多摩御陵築造、大宮御所、学習院特別教室、中等科教室及青年寮、那須御用邸、東伏見宮邸、秩父宮邸、図書寮庁舎、李王邸、葉山御用邸、高松宮邸、朝香宮邸の設計の全権担当を任ぜられた。 '30〜'31日本建築学会副会長。'31臨時帝室博物館造営課長を命ぜられ、工事完了の'37本官を免ぜられ、同時に宮中顧問官に就任、高等官1等に叙せられた。勲2等。肺炎のため逝去。享年61歳。死去に際し正3位に追陞せられた。

<物故者事典>
<美術家人名辞典など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は和型「北村家之墓」。墓石があり、戒名は大成院殿真譽寶閣耕道大居士。妻は明石。


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