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きたがわ はつこ

北川波津子

きたがわ はつこ

1858.1.9(安政5)〜 1938.3.3(昭和13)

明治・大正・昭和期の社会事業家

埋葬場所: 14区 1種 5側

 常陸国水戸に生れる。水戸藩士尾崎氏に学問を学び、25歳で結婚したが離婚。 1896(M29)6月15日に襲来した津波により、三陸海岸では一瞬のうちに死者2万7,122人、被害家屋9千戸という大被害をこうむった。いわゆる三陸大津波である。 波津子は、その罹災児26名を引き取って育児に専念する。のち東京孤児院を発足させたが、東京育成園と改称。43年の間、園の慈母として終始した。

<日本女性人名辞典>
<MATSU様より情報提供>


こどもの国

*墓所は『コドモの国 東京育成園墓』とあり、北川波津と刻む。

*同墓には東京育成園理事長・名誉都民となった松島正儀と、妻で園母として尽力した松島美枝子も眠る。


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