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きのした りつあん

木下立安

きのした りつあん

1866(慶応2.11.1)〜 1953.6.6(昭和28)

明治・大正・昭和期の出版人、歌人

埋葬場所: 16区 1種 8側

 和歌山県伊都郡出身。号は蘇子。慶應義塾大学卒業後、北海道炭壙鉄道に入社し、小樽にあった手宮所長などを歴任した。後に福沢諭吉の創刊した「時事新報」の主任を経て、和歌山県および奈良県にあった私設鉄道の紀和鉄道の支配人に就任。
 1899(M32)鉄道協会内に鉄道時報局を設置し、鉄道の有用性を世に知らしめることを目的に、元祖鉄道雑誌「鉄道時報」を創刊。「鉄道時報」は創刊から二年後より週刊化され、1909(M42)10周年を記念して『日本の鉄道論』を刊行。また発刊当初より鉄道発祥の国のイギリスでも話題となり、原文引用で英訳紹介されている。補足情報としては、1997 復刻版が出て話題になった。
 木下は出版事業も開始し、『帝国鉄道要鑑』を刊行。1901.7.1 東京京橋采女町に鉄道時報局を設立。同年、木下武之助 編集『鉄道曲線測量表 附 布設法』を発行し、後に道路を加え『鉄道・道路 曲線測量表 附 布設法』とし全訂するなど、改訂増補と版を重ねながら「木下の曲線表」と呼ばれ親しまれた。
 '15(T4)旅行案内社を設立、「月刊時間表、旅行案内」を創刊し、戦前唯一の旅行系出版社となる。新聞、時刻表、書籍の発行など順調に業績を伸ばし、'19株式会社に改組して社長に就任。関東大震災・世界大恐慌・戦争と多難を乗り越え、鉄道関係、土木関係を中心として意欲的な出版活動を続けていたが、'43(S18)用紙配給制度による極度の紙不足と人員不足により、ついに「鉄道時報」が廃刊となる。更に翌年、企業整備令により聖戦完遂の国策のため、(財)東亜交通公社(後のJTB)に「時間表の発行権」を譲渡することとなった。
 そこで理工図書株式会社に改組して初代社長に就任。これにより、理科学系統と工学系統の両部門にわたって出版することになる。終戦後、'46「鉄道・道路 曲線測量表 附 布設法」をページを削減し発行、休刊していた「土木科学」を戦前の「土木技術」に戻し復刊させた。木下没後も理工図書株式会社は出版業界のトップとして現在に至り、'90(H2)「百年の歩み」となる。
 主な著書に『鉄道懐中日記』『特別任用鉄道員必携』『乾ける国へ−満鮮支那旅行−』がある。
 なお、木下蘇子(きのした そし)として歌人としても活動しており、俳句は大須賀乙字に師事。「獺祭(だっさい)」「ましろ」などの同人であり、「短歌人」を主催した。'21(T10)『乙字俳論集』を刊行。1930(S5)『蘇子句集』『えそのうたにき』などの歌集がある。享年87歳。

<物故者事典>
<墓所内の顕彰碑など>


墓所 顕彰碑

*墓石正面「木下家之墓」、左側に墓誌が建つ。墓誌は妻の欽(S24.2.14歿・行年72才)から刻みが始まり、孫の茂(S27.11.29歿・行年19才)、茂の妻の幸枝(H29.6.4歿・行年85才)、長男の誠(H29.9.18歿・行年92才)が刻む。右側に木下立安の顕彰碑が建つ。最後に「平成十八年七月吉日 木下誠」と刻む。

ドーム型

*元々の木下家の墓石はドーム型(上の写真)の墓であったが、2009年初頭に現在の形に建立された。なお木下立安顕彰碑は墓石が建て替わる前の、2006年7月に木下誠により建碑された。



第250回 元祖鉄道雑誌「鉄道時報」木下立安 お墓ツアー


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