和歌山県伊都郡出身。号は蘇子。慶應義塾大学卒業後、北海道炭壙鉄道に入社し、手宮所長などを歴任した。
後に福沢諭吉の創刊した「時事新報」の主任を経て、紀和鉄道支配人に就任する。
1899(M32)鉄道協会内に鉄道時報局を設置し、「鉄道時報」を創刊。1901.7.1東京京橋采女町に鉄道時報局を設立。
同年、木下武之助編「鉄道曲線測量表 附布設法」を発行し、後に道路を加え「鉄道・道路 曲線測量表 附布設法」とし全訂するなど、改訂増補と版を重ねながら「木下の曲線表」と呼ばれ親しまれた。
'15(T4)旅行案内社を設立、「月刊時間表、旅行案内」を創刊し、戦前唯一の出版社となる。
新聞、時刻表、書籍の発行など順調に業績を伸ばし、'19株式会社に改組して社長に就任。関東大震災・世界大恐慌・戦争と多難を乗り越え、鉄道関係、土木関係を中心として意欲的な出版活動を続けていたが、'43(S18)用紙配給制度による極度の紙不足と人員不足により「鉄道時報」が廃刊となる。
更に翌年、企業整備令により聖戦完遂の国策のため、(財)東亜交通公社(JTB)に「時間表の発行権」を譲渡することとなった。
理工図書株式会社に改組して初代社長に就任。これにより、理科学系統と工学系統の両部門にわたって出版することになる。
終戦後、'46「鉄道・道路 曲線測量表 附布設法」をページを削減し発行、休刊していた「土木科学」を戦前の「土木技術」に戻し復刊させた。
木下没後も理工図書株式会社は出版業界のトップとして現在に至り、'90(H2)「百年の歩み」となる。
主な著書に、1900「帝国鉄道要鑑」、1903「鉄道懐中日記」、1906「特別任用鉄道員必携」(編)、1923『乾ける国へ―満鮮支那旅行―』がある。
なお、木下蘇子(きのした そし)として歌人としても活動しており、俳句は大須賀乙字に師事。「獺祭」「ましろ」などの同人。「短歌人」を主催した。
'21(T10)『乙字俳論集』を刊行。1930(S5)『蘇子句集』『えそのうたにき』などの歌集がある。享年87歳。