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きむら せいしろう

木村清四郎

きむら せいしろう

1861.7.12(文久1.6.5)〜 1934.9.24(昭和9)

明治・大正・昭和期の新聞人、銀行家

埋葬場所: 11区 1種 5側

 備中(岡山県)出身。1883(M16)慶応義塾卒業後、商況社(日本経済新聞)に入社して、「中外物価新報」の論説を担当する。 1885主幹(経営責任者)となり代表的経済紙に発展させ、1890「中外商業新報」と改題し、社長に就任。
 1897日本銀行総裁の岩崎弥太郎の勧めにより日本銀行に入行。1901(M34)営業局長、'06理事、'16(T5)副総裁、'26病のため辞職。 '27(S2)勅選貴族院議員。帝室経済顧問・日本銀行参与・千代田生命取締役などを務める。正5位 勲2等。享年73歳。 戒名は覺性院殿清徳自秀居士。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>


墓所 墓誌碑

*正面墓石には「正五位勲二等木村清四郎墓」と刻み、右面に自身と妻の没年月日と享年が刻む。右側に墓誌があり、そちらには戒名も刻む。更に右側には自筆の墓誌碑が建ち、右面に本籍地に関してのことが刻む。


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