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きくち さんくろう

菊地三九郎

きくち さんくろう

1859.12.24(安政6)〜 1923.10.9(大正12)

明治期の漢学者、詩人

埋葬場所: 2区 1種 4側 16番

 名は武貞、三九郎は通称。はじめは玉渓と号し、のち晩香(ばんこう)と称した。 菊池海荘の養子菊崖の第二子として和歌山県有田郡栖原村(現湯浅町栖原)に生れた。のち垣内本家に入り、その12代目を継承した。 1892(M25)東京専門学校(早稲田大学)英語政治学科を卒業したが、家学を承けて漢学に造詣深く、詩文に秀れていたので、大隈重信や高田早苗の知遇を受け、早大教授となり、漢学及び文章学を講じた。 人物高潔で脱俗離欲の人と評された。関東大震災後、病気療養中であったが東京の自宅で没した。著書は『黄花片影』ほか多数ある。

<漢学者はいかに生きたか>
<大正過去帳>
<MATSU様より情報提供>


きくち みくろう

*墓所に詩が刻む墓誌碑がある。


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