父は台湾総督府官吏を務めた川添正衛(同墓)。医学博士。 1896(M29)若干24歳の若さで台北病院にて台湾初の産婦人科医員として赴任。その後、台湾総督府医学校助教授、同舎監を務めた。台湾の近代産婦人科の創立・発展に大きく貢献した。 1914(T3)旧制長崎大学にて6代目教授に就任。'19.12慶応義塾大学産婦人科学教室発足に伴い初代教授に任命された。'34(S9)同大学停年、名誉教授。主な著書に『簡明産科学』(1930)『最新助産婦学 』(1931)などがある。 翌年、東京新宿・四谷の地に産婦人科医院「四谷 川添産婦人科」を開業。専ら医療を以て社会へ奉仕され、その後終戦の危期も乗り越え、逝去される86歳まで、高齢にも拘わらず外来診療はいうに及ばず婦人科と産科の手術にも少しも衰えをみせなかった名医とされる。正道没後も家族四代にわたり現在に至るまで産婦人科業を継続されている。
*墓所内には五輪塔2基、和型墓石4基建つ。正面3基。右の墓石は父の正衛・母のイワ、真ん中が正道・妻のレン、左の墓石は正次・カチ子。各墓石の正面は夫妻の戒名、右面に没年月日と俗名、行年が刻む。正道の戒名は醫寳院殿法秀正道日壽居士。俗名の横に「医学博士」と刻む。