歴史が眠る多磨霊園 |
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川田鉄弥 | |
かわだ てつや | |
1873.5.27(明治6)〜 1959.7.7(昭和34) | |
明治・大正・昭和期の教育者(高千穂学園) | |
埋葬場所: 6区 1種 9側 | |
土佐群初月村(高知市)出身。川田惣七・丑子の長男。 7歳の時に実父が死去し、坂本牛太郎が川田家をつぎ、その養子として育てられる。1892(M25)高知県尋常中学校(追手前高校)卒業後、上京して東京帝国大学分科大学に入り1899(M32)卒業。 同年9月文部省に入り、翌年1月陸軍幼年学校教官となり、東京専門学校(早稲田大学)講師を兼任。 教員生活で一貫教育の必要を痛感して退職し1903(M36)4月東京帝国大学卒業生として初の東京府小学校教員の免許を受け高千穂小学校を創立し、校長に就任。 さらに、1907幼稚園、1909中学校、1914(T3)全国初の私立高等商業学校を創設し、幼稚園から高等学校までの一貫教育を行う綜合学園を完成し、その教育と運営にあたる。 現在も高千穂商科大学としてその歴史を刻んでいる。享年86歳。遺骨は遺言により多磨霊園のほか、高知市中久万の川田家墓地に分骨されている。著書に『浦門川田先生全集』がある。 <高知県人名事典> *同じ側、バス通り沿いに、服部金太郎翁碑の裏に、「川田鉄弥 高千穂学校碑」が多磨霊園碑石形像のひとつとして建立されている。 | |
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