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かとう しげもと

加藤茂苞

かとう しげもと

1868.5.17(慶応4)〜 1949.8.17(昭和24)

明治・大正・昭和期の農学者

埋葬場所: 8区 1種 15側

 旧名は龍太郎。茂苞を「もほう」とも言った。山形県士族・庄内藩士加藤甚平の長男として出羽国鶴岡(山形)に生れる。 1891(M24)東京帝国大学農科大学農学科を卒業して山形県師範学校教諭となり、1896農商務省農事試験場技師に転ずる。 以来約25年間にわたって水稲品種の改良に取組み、1903(M36)畿内支場に移る。 安藤広太郎とともに、イネの人為交配による新種作成に成功。「陸羽132号」をはじめとする新品種の創出を指導するなど多くの功績をあげた。 また、イネの品種を整理し、イネ種育学の基礎をつくった。1919(T8)農学博士。翌年、九州帝国大学教授に任ぜられてのちに農学部長。 1926朝鮮の水原高等農林学校教授を兼ね、1934(S9)退官後は東京農業大学教授となる。 東北稲作改良の父といわれ、水稲品種の改良、新品種育成に関する論文25編、講演筆記22編を残す。享年82歳。逓信事業の権威田倉八郎の実兄。

<庄内人名事典239頁>
<コンサイス日本人名事典>
<五輪塔様より情報提供>


 


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