歴史が眠る多磨霊園 |
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加藤増雄 | |
かとう ますお | |
1853(嘉永6)〜 1922.12.22(大正11) | |
明治期の外交官 | |
埋葬場所: 12区 1種 9側 | |
三重県朝明郡伊坂村(四日市市)出身。1877(M10)外務省に入りオランダ・イタリア・ロシア各公使館に在勤後、大臣官房記録課長を経て、1894釜山領事となる。 1896(M29)7月より朝鮮国公使館1等書記官として京城に在勤。翌年2月、原敬の後任として、同国駐剳弁理公使に任命され、翌98年11月、特命全権公使に昇任。 この間、1896モスクワにおいて駐露公使閔泳煥と露国外相ロバノフとの間に締結された露韓密約の内容を入手し、また京釜鉄道敷設権獲得に尽力するなど手腕を発揮し、李太王の信頼も厚かった。 1899(M32)5月、全権公使を免ぜられたが、その後、韓廷の要請により、1902(M35)8月韓国政府の顧問に任命され、伊藤博文が統監就任後は韓国側との間に立ち意思疎通の任に当った。1907辞職して帰国した。従四位勲三等。妻は加藤榮子(M22.2.14没)。 <新版日本外交史辞典>
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