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かさい けんじ

河西健次

かさい けんじ

1868(慶応4.2.24)〜 1927.5.14(昭和2)

明治・大正期の医師、軍医、正露丸生みの親

埋葬場所: 1区 1種 6側

 信濃国諏訪(長野県)出身。代々医を業とした信州諏訪の医師・河西東雄の長男に生まれる。
 1890(M23)東京帝国大学医科大学在学中に陸軍医官候補生に採用され、日清戦争に出征。のち京都帝国大学院を修了し、伏見衛生病院、台北衛生病院付を経て、日露戦争時には三等軍医正となり従軍した。
 この間、強力な殺菌力を持つ「クレオソート丸」の開発に成功。日露戦争時、兵士には戦場の胃腸薬として浸透し、「露西亜を征する丸薬」すなわち「征露丸」(現在は「正露丸」)という俗称として親しまれるようになった。
 1906ドイツ駐在となり、'08現役のまま満州鉄道会社衛生課長 兼 大連医院長に就任した。同年、医学博士。'11奉天における万国ペスト研究会議に列席し、同年軍医正に進み、'12(T1)南満鉄医学堂(のちの満州医大)の初代堂長を兼任した。'13予備役に編入となり、のち東京新宿に武蔵野病院を設立した。享年59歳。

<20世紀日本人名事典など>


墓所

*墓所内に二基。正面に「河西健次之墓」、右側に「河西家之墓」。「河西健次之墓」の右面に河西健次の略歴と共に「昭和二年五月十四日病卒 享年六十」と刻む。左面には「健次妻 東名子 昭和三十七年九月十四日歿 享年八十七歳」と刻む。裏面は「昭和三年五月十四日建之」と刻む。「河西家之墓」の墓石正面に「第十世以後」、裏面「昭和七年一月二十日 東名 建之」。と刻む。左面が墓誌となっている。河西東一(1901.10-1931.1.20・享年31)から始まり河西健次長男と刻む。三男は守雄(1907.3-1986.2.13・享年79)。孫の河西京二(1937-2003.4.16・享年66)は日本興業銀行常務や日産自動車常務を務めた人物。

*妻の東名子(1875.9-1962.9.14)のヨミを「とき」とするものもある。山口県出身で、佐藤謙之助の妹。

*河西のヨミを「かわにし」とする人名辞典もあったが、ここでは「かさい」で統一する。


【正露丸】
 正露丸は日局クレオソートを主成分とする民間薬で、下痢、消化不良などの際に胃や腸の調子を整え、また歯髄炎による虫歯の痛みにも効能がある、非常に一般的な薬品である。
 日清戦争で不衛生な水源による伝染病に悩まされた陸軍は、感染症の対策に取り組んでおり、陸軍軍医学校の教官であった戸塚機知三等軍医正が、1903(M36)クレオソート剤がチフス菌に対する著明な抑制効果を持つことを発見した。 この発見を基に、日清戦争に従軍経験があった河西健次が引継ぎ、強力な殺菌力を持つ「クレオソート丸」の開発に成功した。 1904日露戦争が勃発したこともあり、陸軍では兵士に対して、水あたり、食あたり、腸チフス、赤痢等の予防薬として大量に配布し、連日服用させた。 しかし、当時の価値観として、予防的投薬という概念が浸透しておらず、特異な臭気を放つ得体の知れない丸薬は敬遠されがちであった。 そこで軍首脳部は一計を案じ、その服薬を「陛下ノゴ希望ニヨリ」と明治天皇の名を借りて奨励することとした。 これにより、兵士の間では、戦場の胃腸薬として浸透し、本来の名前である「クレオソート丸」から、「露西亜を征する丸薬」、すなわち「征露丸」という俗称として親しまれるようになった。 連日の服用の成果で、下痢や腹痛により戦線を離脱する兵士は激減したといわれる。
 征露丸の止瀉作用や歯髄鎮静効果は、帰還した軍人たちの体験談として伝えられ、「ロシアを倒した万能薬」として、多くのメーカーから競い合うように製造販売され、日本独自の国民薬として普及していった。 第二次世界大戦終結後、国際信義上「征」の字を使うことは好ましくないとの行政指導があり「正露丸」と改められた。 なお、いまでも「ラッパのマークの<正露丸>」と宣伝されているが、そのラッパのマークも、ロシアに対する進撃ラッパが由来である。


*当時の陸軍は「征露丸」を胃腸薬としての効能のみならず、脚気予防に対しての期待をしていた。 これは、脚気菌なるものを想定しており、その菌を撲滅できるのではないかという期待からである。 しかし、脚気菌なるものはあるはずもなく、日露戦争時では脚気による死者を多数出す結果となった。 一方、脚気はビタミン不足によるものであることをいち早く想定し、食料にビタミンを補充できる食べ物を取り入れていた海軍では、日露戦争で脚気による死者を一人も出していない。

*陸軍よりも一年早い1902大阪の薬商である中島佐一が正露丸を開発し販売を開始したという説もある。 この中島より権利を得た大幸薬品は戦後、一時、商標登録されたこともあったが、裁判の結果、現在はすべて無効となっており、商標権を持たない会社でも「正露丸」等の商品名を使用することが認められている。 よってラッパのマークでない正露丸も多数存在する。なお、大幸薬品の正露丸はラッパのマーク。 和泉薬品工業株式会社のイヅミ正露丸はひょうたんのマーク。 奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは現在も一貫して征露丸の名前で販売を続けている。



第258回 露西亜を征する丸薬 征露丸(正露丸)生みの親
河西健次 お墓ツアー


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