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かのう みつぐ

加納 貢

かのう みつぐ

1926(大正15)〜 2004.9.28(平成16)

昭和期(終戦混乱期)の愚連隊の帝王

埋葬場所: 19区 1種 6側

 東京新宿出身。父は八千代銀行創業者で銀行家の加納直(同墓)。生家は東京の初台一帯から新宿にかけての地主。
 太平洋戦争終戦後の混乱期。人心は荒廃し、廃墟の街では占領軍兵士の横暴、露店荒らし、不良外国人の侵略、ヤクザ同士の争いが頻発していた。 飢餓と窮乏の中、無法地帯・新宿。空腹から盗みを働く少年が捕まりヤクザに袋叩きにあっている。そういう日常茶飯事な状況の時に、現れ助ける。 無抵抗な女子供が殴られていると、現れ助ける。時に米兵を倒して庶民を守る。甘いマスクでモノ欲しがらず、得物を使わぬスデゴロなら天下無双。 喧嘩になるとどこからともなく現れ、我が身で弱者をかばう。そして勝つ。完璧に勝利する。ユーモア混じりの上品な掛け合いでヤクザをぎゃふんと言わせ、歌舞伎町で組み合った相手を、ジルバのステップで西口あたりまでぶっ飛ばす。 パンチは重く、「象さんパンチ」と形容された。そのうえ金をせびらない。いつも「あばよ」でさようならである。加納は、戦後闇市の守護神と称され、「愚連隊の帝王」と呼ばれた。また新宿の顔とされていたことで「ジュクの帝王」とも呼ばれた。
 愚連隊とは素人以上、ヤクザ未満と解釈するのが妥当で、今で言えば暴走族のような存在に当たる。関東連合を筆頭に、現在、世間を賑わす「半グレ」集団と、ポジション的には変わらない。が、実際のところ、当時の愚連隊はヤクザの下部に位置していない。警察が便宜上そう解説しただけで、それは全くの考え違いだ。当人たちも完全に独立したジャンルと考えていた。
 愚連隊は自分たちが暴力社会のエリートと考えていた。博徒は渡世人、的屋は家業人、愚連隊は不良。全面的に暴力を表看板にしていたのは愚連隊だった。 ヤクザには賭場・露店といった仕事があり、彼らの暴力は自分たちの米櫃を荒らす不逞者を成敗する自衛権である。 暴力を換金しようとする計算がない愚連隊は、アマチュアであるため、つまり遊びである。採算度外視で喧嘩をふっかけてくるため、プロからすればたちが悪かった。 また、加納は銀行家・新宿一帯の地主の裕福な家柄であることから、利益分配を考えずに暴れ回る加納を、ヤクザたちはバックボーンが違いすぎて相手にするのが馬鹿らしく思い、触らぬ神に祟りなしと忌み嫌ったという。
 飛んでいるツバメに石礫を命中させた。振り下ろされたヤッパを真剣白刃取りした。世界チャンピオンのボクサーをノックアウトさせたなどの伝説が数多く残る。
 加納は自分の生き方を舎弟たちにも強要した。「霞を食って生きろ」と教え込んだ。加納は生涯アマチュアを貫き暴力を金にしなかった。 だが、多くの舎弟は加納のもとを去った。皆が裕福というわけではないのだ。愚連隊はその後、全国で暴れ回り、ヤクザに吸収され、短い期間で姿を消していった。
 加納はその後、ジャマイカでのコーヒー事業や、台湾との輸入貿易などに手を出すが、その全てが詐欺師の話に乗せられたことばかりであり成功せず、実家の財産をほとんど失った。
 1997(H9)監督は和泉聖治、加納貢の役に的場浩司で映画「実録新宿の顔 新宿愚連隊物語」が1部、2部の二本立てで上映された。 また、大貫説夫の著『風、紅蓮に燃ゆ−帝王・加納貢伝』が幻冬舎から刊行されている。常宿にしていた新宿の高級ホテルの一室にて眠るように急逝。享年78歳。

<実話ナックルズ2013年1月号「実録アウトロー伝説」など>


墓所

*墓石は和型「加納家之墓」。右側に墓誌があり、戒名は●景詞彩日貢信士。墓所右手側に句碑が建つ。●=「ニンベンに夾」


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