名は生信、邦信。通称は久米之介。狩野信政の次男。分家して幕府の表絵師のひとつ、浅草猿屋町代地分家狩野家をたてた。
有名な作品としては『黒駒大絵馬』があり、1697(元禄10)に信州の大名戸田氏忠真が浅間信仰のため描かせ奉納したものである。
木製丈3尺3寸8分、巾4尺5寸枠飾金具付絵馬面を全面金箔押として、これに大きく勇む黒駒を漆絵で描写している。
これは河口浅間神社に現存し有形文化財となっている。戒名は隋縁院洞元生信観月居士。
2世は洞琳。3世は洞寿。4世は洞庭。6世は洞寿。皆合葬。5世洞隣の墓は中央にある。
2世 狩野洞琳 かのう とうりん
1679(延宝7)〜1754.1.26(宝暦4)
江戸時代中期の画家
名は波信。狩野洞元の子。浅草猿屋町代地分家狩野家の寿石の子とも、狩野洞雲(3-1-31-1)の門人ともいわれる。
日光東照宮の装飾事業に参加した。享年76歳。
3世 狩野洞壽 かのう とうじゅ
?〜1777.11.26(安永6)
江戸時代中期の画家
名は克信。別号に柳月斎。狩野洞琳の子。1762(宝暦12)朝鮮への贈呈屏風を制作した。
4世 狩野洞庭 かのう とうてい
?〜?
江戸時代中期の画家
名は興信。狩野洞壽の子。
5世 狩野洞隣 かのう とうりん
?〜1820.7.7(文政3)
江戸時代後期の画家
名は由信(よしのぶ)。初め元琳、後に洞琳また洞隣と改める。通称は久米吉之助、後に鏡之助と改める。狩野洞庭の子。祖父狩野洞壽の跡を継ぎ幕府の絵師となる。
6世 狩野洞寿 かのう とうじゅ
?〜?
江戸時代後期の画家
狩野洞隣の子。
*護国院墓域より改葬。
*2世は洞琳。3世は洞壽。4世は洞庭。6世は洞寿。皆合葬。5世洞隣の墓は中央にある。
*視聴者の方より墓所がない旨の情報を得、確認をしたところ改葬されたもようです。その後の行方は調査中。なお、「歴史が眠る多磨霊園」は故人を通して歴史を学ぶコンセプトであるためページは残します。
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