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かみじょう しゅうすけ

上條秀介

かみじょう しゅうすけ

1893.12.22(明治26)〜 1956.5.19(昭和31)

大正・昭和期の医学者、医学教育者

埋葬場所: 21区 1種 9側

 長野県出身。1919(T8)東京帝国大学医学部卒業し、東京大学に奉職、そこで内科学、病理学を研鑚して医学博士となる。 '21(T10)湯澤美代子と結婚。'25当時の社会情勢と医学教育体制との矛盾を洞察し、優れた臨床医を養成することの重要性を世に訴え、昭和医学専門学校創立の計画に着手した。 '27(S2)日本女子歯科医学専門学校理事に就任し、私立学校の経営方法を学ぶ。 '28東京大学の助手を辞任し、財団法人昭和医学専門学校および昭和医学専門学校を設立し、終身理事となる。 同年、昭和医学専門学校主事、教授となり、また、昭和医学専門学校付属医院も開設し、医院長にも就任した。 '31昭和医学専門学校付属産婆看護婦講習所を設立し所長に就任。'38昭和医学専門学校長、'43東京府医師会理事、昭和医科大学長、同付属医院長、多摩帝国美術学校(多摩美術大学)理事などを歴任。 '49東京都病院協会を設立し理事長、'51日本病院協会(日本病院会)を設立し初代会長、日本私立大学協会理事、私学総連合会理事など、多くの役職や評議員などを務めた。
 教育活動の理念に「不求一身安」「至誠一貫」を揚げ、学生の可能性を引き伸ばす教育を自ら実践した。 戦前戦後と一貫して医学教育、看護教育の充実に尽力し、日本の医療界や医学教育の発展に大きく貢献した。 主な著書に'31『新内科学』『日常医語集覧』、'33『診断学』がある。狭心症のため逝去。享年63歳。勲四等瑞宝章、従五位。葬儀は大学葬として営まわれた。

<世界人名辞典>


*墓石には「上條家之墓」。墓誌があり戒名は鳳徳院殿瑩学智秀大居士。

*長男である上条一也(同墓)は薬理学者であり、昭和大学学長も務めた。


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