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かじわら たくま

梶原琢磨

かじわら たくま

1876.11.15(明治9)〜 1959.3.11(昭和34)

大正・昭和期の写真家、画家

埋葬場所: 13区 1種 18側

 福岡出身。17歳の時アメリカに移民。シアトルで写真術を学んだ後、セントルイスで写真のスタジオを開く。 「タクマ・レンズ」の開発に当たる。のちに油彩画家に転向。肖像画を中心に制作。 セントルイス・アーチスト・ギルドで度々受賞。1926(T15)カンザス・シティー美術館から銀メダル。 '35(S10)よりニューヨークに移る。'49ザブリスキー賞。'51アメリカ美術家連盟から金メダル受賞。 ニューヨークで死去。享年83歳。ペンタックスのレンズの旧ブランド「タクマー」は彼から名づけられた。

<20世紀物故洋画家事典>
<MATSU様より情報提供>


緑蔭柯山翁碑 墓所

*墓所内には梶原家の墓石の左側に『緑蔭柯山翁碑』が建つ。また右側に墓誌があり画家の梶原貫五と琢磨の名を確認できる。

*梶原琢磨と梶原貫五の共通する書物がなく、親族なのかが疑問。
梶原琢磨はアメリカに移民しておりニューヨークで死去していることから多磨霊園に埋葬されているこの人物が該当者であるのかに疑問。 この件に関して詳細を知っているかたがありましたらご連絡願います。

*太平洋画会会長などを務めていた画家・版画家の吉田博氏の孫にあたります吉田隆志様よりご連絡を頂戴しました。
祖父の吉田博と梶原琢磨は修猷館の同級生であり、梶原琢磨が吉田博をセントルイスで撮影した写真が発見されたとのこと。 また、吉田様が旭光学の関係で、梶原家を訪ねたことがあり、そこで梶原貫五の話を聞いた記憶があることから、梶原琢磨と梶原貫五は同墓所に埋葬されている可能性は非常に高いという情報をいただきました。

<吉田隆志様より情報提供>


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