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ハリス,ジェームズ・バーナード

ハリス,ジェームズ・バーナード

James Bernad Harris

1916(大正5)〜 2004.8.16(平成16)

昭和期のジャーナリスト、英語教育者、評論家

埋葬場所: 外人墓地区 2種 1側

 神戸出身。育ちは横浜。日本名は平柳秀夫。父は英国人のアーサー・モンタギュー・ハリス(1885〜1933)、母は平柳うら(1890〜1974)(両者とも同墓)。 アーサーはロンドン・タイムズの極東特派員であり、非常な親日家で、フェアなジャーナリストとして日英の交流の架け橋になった人物。
 カトリック系のインターナショナル・スクール、セント・ジョゼフ・カレッジに学ぶ。最初、英国籍であったが、1933(S8)父のアーサーが肺炎で急死したため、母とともに日本国籍を取得。 同年、17歳の時にジャパン・アドバタイザー(ジャパン・タイムズ)に入社。新聞記者としてのスタートを切る。 太平洋戦争時には、日本国籍であるにも関わらず横浜収容所に8ヶ月収容された後、日本人と確認され実家に戻るも、’42召集され兵役につき、北支(中国河南省)の戦場に送り込まれた。
 戦後’21ジャパン・タイムズに復帰し、主に東京裁判の取材をした。雑誌フォーチュン東京支局を経て、旺文社初代社長の赤尾好夫(9-1-7)の招きで、英語講師としてラジオ番組を中心に活躍した。 主な講座に文化放送「大学受験ラジオ講座」(1952〜1995 43年間)、「百万人の英語」(1958〜1992 34年間)がある。 '98(H10)旺文社顧問を最後に退職。この間、’74佐藤栄作首相のノーベル平和賞受賞式英語演説の指導、佐藤憲子夫人の個人教授なども務めた。 晩年は、英語検定協会の評議員。肺気腫のため死去。享年87歳。著書に『ぼくは日本兵だった』(旺文社)などがある。
 妻の平柳富美子は眼科医、長男のロバート・ハリス(平柳進)は作家、ラジオパーソナリティとして活動している。

<月刊正論 私の写真館 アルバムの中に(65)など>


ハリス,ジェームズ・バーナード

*墓所内墓石は十字架であり、十字架のクロスする横石にはアーサーの名前と生没年月日が英字で刻み、クロスする縦石に平柳うらの名前と生没年月日が和字で刻む。 右側に墓誌がある。長男のロバート・ハリスの弟たちである次男のロニー(ロナルド・ハリス)、三男のリッキー(リチャード・ハリス)が刻む。


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