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ふわ あきら

不破 章

ふわ あきら

1901.12.1(明治34)〜 1979.2.6(昭和54)

大正・昭和期の水彩画家

埋葬場所: 15区 1種 6側

 東京神田三崎町出身。大倉商業学校卒業。大下藤次郎に憧れて水彩画家を志す。18歳の時にアメリカ人のマックス・オゴに水彩を学ぶ。
 1923(T12)日本水彩画会第10回展に初出品。同年『雨後の青山』『霙降る日』を光風会第10回展にも出品し光風会奨励賞、今村氏奨励賞を受賞した。翌年、日本水彩画会会員となり、'25 頃より石井柏亭に師事した。'26 第7回帝国美術院展に『西郊風景』を初出品し入選。'28(S3) 光風会々友、'30 水彩画会委員となった。'41 皇紀2600年記念水彩画推奨記録展で『婦人肖像』が最高記録賞を受賞した。
 戦後、'47 一水会再建に際して会員に推挙され再組織に力を注ぎ、美術家、美術教育家の養成を図った。'53 第9回日展に『二女』が特選および朝倉賞、'66 第12回日展で『姉妹三人』が岡田賞を受賞。'66 日展審査員、'67 日展会員。'74 日本水彩画会理事長に就任。'77 勲4等瑞宝章を受章。そのほか代表作品には『ハンブルグ』(1963)、『台湾の農村』(1978)などがある。また、'76 初心者のための『水彩画入門』を出版している。
 水彩画について「私は透明に描くことによって油絵にない美しさを得られるものと思っている」と語り、身近な生活の描写から、国内外の人々の暮らしや風景をそこに住む人々の目線で描いた。優れた色彩感覚で透明水彩の特性を生かした。肺がんのため順天堂大学附属医院にて逝去。享年77歳。没後、'81 不破章水彩画遺作展が開催され、妻のクラ(同墓)が編集を担当し『不破章水彩画集遺作集』が刊行された。

<20世紀日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<日本美術年鑑>


墓所

*墓石は和型「不破家之墓」、裏面「昭和拾五年五月建之 施主 不破章」。左に小さな和型「明眞院釋忠賢居士」、左面「不破弾蔵直光墓」と刻む。右側に墓誌が二基建つ。墓石の右隣の墓誌には不破章の両親(父は不破生三)と早死した子の三名が刻み、「昭和拾五年五月建之 施主 不破章」と刻む。入口側の墓誌は不破章から刻みが始まり、戒名は瑞寶院釋彩章居士、「勲四等瑞宝章」と刻む。妻はクラ(慈光院釋久榮信女:H22.10.4歿・行年102歳)。

*不破弾蔵直光は戊辰戦争(宇都宮付近)で戦死(慶應4.15歿・25歳)した人物であろうと推測する。


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