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ふるた まさたけ

古田正武

ふるた まさたけ

1888.1.13(明治21)〜 1939.9.8(昭和14)

大正・昭和期の司法官僚、検事

埋葬場所: 12区 1種 9側

 岐阜県土岐郡日吉村(瑞浪市)出身。1914(T3)東京帝国大学法科大学卒業。司法官試補として東京地方裁判所に入る。'16東京地方裁判所検事となり、司法書記官、警察講習所教授、大審院検事を歴任した。著書に『普選法罰則講話』(1926)、『刑事訴訟法綱要』(1927年)があり、維持法の立案者として講演活動も行った。
 '33(S8)日本が満洲国における治外法権撤廃の方針を決定したことから法典立案と裁判所(法院)の整備充実が急がれ、満洲国司法権確立のため懇請により、司法省から古田が推薦され依願免官の発令を受け赴任し、満州国国務院司法部総務司長に就任した。次いで、'36.6.9〜'37.12.11司法部次長を務めた。日本に帰国して司法省刑事局長を務めた。検事総長間違いなしといわれた逸材だったが逝去。享年51歳。

<人事興信録など>


墓所

*墓石は和型「古田家之墓」。裏面は「昭和十四年十二月十六日 古田稲夫建之」と刻む。戒名は憲章院義範英武大居士。妻は青木達四郎の長女の乃理。

*父の庄次郎(1857−1935.5.4)は岐阜出身の加藤弥兵衛の二男で古田家の養子となった人物。母のふみ は渡辺文治の二女。同墓に眠る。また同墓には、長男の古田稲夫(1919〜2010.3.22)と稲夫の妻は富子も眠る。


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