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ふじむら よしろう

藤村義朗

ふじむら よしろう

1870(明治3)〜 1933(昭和8)

明治・大正期の実業家、政治家、男爵

埋葬場所: 13区 1種 16側 11番

 熊本藩士藤村紫朗の長男。熊本済々黌教授をへて、1894(M27)三井鉱山に入社、98三井物産に転じ、1906ロンドン支店勤務を命ぜられ、09帰国。 本社人事課長、調査課長をへて14(T3)上海支店長、15英国会社上海紡績有限公司専務を兼任、18三井物産取締役。 同年貴院議員、公正会に属し幹事、歴代内閣の外交・経済政策を批判し〈カマキリ男爵〉とあだ名された。 20大正日日新聞社長、翌年全国養蚕組合連合会創立とともに会長となり、24清浦内閣の逓相となった。 その後、東京瓦斯・国際電話の取締役のほか蚕糸業界の役員などとして活躍した。

<コンサイス日本人名事典>


*他の人名辞典には『よしあき』と書いてあるものもある。

*父の藤村紫朗が幕末期に高野山の挙兵に参加し、戊辰戦争の時に軍監、後に山梨県令、愛媛県知事などで活躍した功により、1896(M29).6.5に男爵の爵位を授爵した。 没後、長男の義朗が継承し男爵議員として活動した。義朗死後、継承者が決まらず、1937(S12)に爵位を返上した。


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