メイン » » » 藤井種太郎
ふじい たねたろう

藤井種太郎

ふじい たねたろう

1881.11.22(明治14)〜 1968.6.22(昭和43)

大正・昭和期の倫理学者、教育家

埋葬場所: 14区 1種 22側

 兵庫県出身。1911(M44)京都帝国大学文科大学哲学科卒、明治専門学校教授。'18(T7)学習院教授、'20広島高師教授を経て、'32〜'46(S7〜S21)宮中顧問官内親王伝育掛長。 その後、'50福岡学芸大教授、'53同大学学長、'57退職。著書に『カント倫理の批判』(目黒書店、1934)がある。
 このなかで藤井は、在来の倫理学はすべて幸福を追求するものだが、カントの倫理学は幸福を追求しない新機軸なものとみなし、さらに、カント的理性批判を自己のものとすることによって、非カント的倫理学とカント的倫理学との統一を試みている。文学博士。

<近代日本哲学思想家辞典>
<MATHU様より情報提供>


墓所

*墓石は和型「藤井家代々墓」。台座に「倶会一処」。墓石裏面には「藤井氏世々住於摂州灘今津郷為名家及余飽食於 禁中轉居東都移先塋於此地以令児孫念祖先 昭和十年十一月 藤井種太郎」と刻む。墓石左側に小さな仏像がある。墓所右側に藤井種太郎の墓誌碑が建つ。「正三位 勲二等 文学博士 藤井種太郎 京都帝国大学文学部卒業。明治専門学校、学習院、広島高等師範学校、広島文理科大学教授を経て、内親王傳育掛長、宮内顧問官に仕せわる。終戦後、福岡学芸大学長となる。昭和四十三年六月二十二日永眠 寿 八十八」と刻む。墓所左側に墓誌も建つ。墓誌は種太郎の前妻のたみ、種太郎の母のうめ、父の政五郎、種太郎の三男の三吉(海軍大尉で戦死)、種太郎の後妻の雪枝、種太郎の長男の正一(行年101才)、正一の妻の節子の名が刻む。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・は行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。