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ふじい のぼる

藤井 昇

ふじい のぼる

1925.11.28(大正14)〜 2003.4.12(平成15)

昭和・平成期の古典ラテン文学者

埋葬場所: 8区 1種 2側

 東京市芝区高輪(東京都港区)出身。機械製作業を営んでいた藤井眞澄、志づ(共に同墓)の子。妻妾同居の家庭で妾に育てられ、実母を慕う。1942(S17)横浜ハリストス正教会で日本正教会の小野帰一主教により受洗。聖名はマトフェイ。
 '43 慶應義塾普通部4年を修了後、慶應義塾大学予科に進学。学徒出陣で、'44 三重県第一気象連隊に入隊。戦後、'48 慶応大学文学部英文科卒業。澤木興道に参禅、浄土真宗に帰依する。母校の助手、商学部助教授を経て、'66 教授。'74 言語文化研究所教授に就任した。
 主な著書に『ラテン文学のすすめ』(1966)、『ローマ史ものがたり』(1984)、『ラテン文学の周辺』(1985)、『詳解ラテン文法』(樋口勝彦と共著:1963)がある。翻訳や共訳も多数あり、ピエール・グリマル、オウィディウス、チャールズ・セルトマン、マールクス・ワレリウス。マールティアーリス、ユウェナーリスなどを翻訳刊行した。'73 ホラティウス『歌章』やその他により慶應義塾賞を受賞した。
 '91(H3)停年退官し、慶應義塾大学名誉教授。心不全のため埼玉県所沢市の病院で逝去。享年77歳。葬儀はニコライ堂で執り行われ、喪主は娘婿の堀越修一が務めた。

<人事興信録>
<訃報記事など>


*墓石は和型正面「○」、「昭和七年拾壹月 藤井眞澄 建之」。右側に墓誌が建つ。墓誌は8歳で亡くなった藤井諸澄(T12没)、23歳で亡くなった富士子(S13没)の刻みから始まる。次に母の志づ(1892.5-1960.11.22:藤田重守の長女).父の藤井眞澄(1886.6-1972.7.9)が続く。藤井昇には「神僕 マトフェイ」という刻みがあり、享年は78才と刻む。


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